「ミニマリスト」とは、最小限度、自分が必要なものだけを集めて生活する人のこと。
テレビに登場していた人は、電化製品を捨てたそうです。
そう。
冷蔵庫も、洗濯機も、掃除機も、炊飯器も全部、全部捨てたのだそう。。
すごいですね。今、暮しの手帖をモデルにしたドラマの中で、
三種の神器は”女性の家事”にゆとりを与えた。。と話しているのに〜〜。
まるで、時代を逆行?!
半ば、呆れながら見ていたところ、
その人の次の言葉に私はもうドキドキしてしまいました。。
エアコンを捨てて、「暑いという感情を捨てた・・」とおっしゃったのです。。
暑いという感情をどうやったら捨てられるんだろう?
ということは、「怒り」も捨てられるのだろうか?
私の頭の中は、もうテレビからこの「感情を捨てる」ことに夢中となりました。。
「怒り」を自分の感情から捨ててしまいたい。
そうすれば、娘との付き合い方も、少しは変わるのではないかしら?
もっと自然な、ナチュラルな感情で過ごすことができないのかな。。と
毎日、毎日、浅はかな感情的な行動を反省し、
どうしたらそんなことができるのか、ずっと考えているからだったのですが。。
先ほどの方は、風を感じたら、「あ、涼しい」と思うようになった。
「暑いな、、と思うことをやめた」と話していました。
そうか。
感情って、自然に感じることを表現すること。。
そうやって考えたら、「怒る」ことはどこか自然とはマッチしないところにあります。
以前に、子育てコーチングのやまざきみどりさんのセミナーで
『怒りの感情は第2感情といって、まず最初に何かの感情があって、だから「怒る」ことになる』と
聞いてました。
私の場合、その前の感情は大抵、「伝わらずに悲しい」から「怒る」ということも
なんとなく理解しているのですが。。。
悲しい、悔しいという感情を持ちながら、
「怒る」という感情を手放すことってできるのか、全くできない未熟者です。。はい。
そもそも、根本的に、私は「怒り」がなくなってはいけないと思っていました。
よく、「怒らない子育て」などという方がいらっしゃいますが、
腹の底から「怒る」「悔しがる」という感情がなかったら、
行動できない瞬間があるのではないかと思ってきました。
でも、
ここ数年、年甲斐もなく娘の挑発に乗って怒りすぎたり、
切れたりしている自分にほとほと情けなさを否めなくなってきました。
こんなに一方的に怒っていても
彼女には私の気持ちは全く伝わらない。
そもそも、母親の気持ちを娘というものは理解しようとするものだったろうか?
自分のことを思い返せば、それは、もうわがままな利己的な自分を
思い出してしまう。。。
どうしたら、私の思いが伝わるか、よりも、
どうしたら、怒って娘をコントロールせずに、
彼女が行動する時を見守れるか、
ということの方が大事なんだということは
もう充分わかっている。。
はずなのですが〜〜
この「怒り」
そんなに簡単に捨てられない。
何を捨てたら、「怒り」も捨てることができるのか、、
ここしばらくのテーマになりそうです。
ロサンゼルスで、空を眺めながら思ったのは、
かの地の広々とした空間。
日本の、私の家は、中がごちゃごちゃしすぎていて、
こんな所にも気持ちの良さの違いを感じて、帰ってきました。
まずは、ここだな。
グチャグチャを捨ててみる。。
そうしたら、
「怒り」も捨てられるかな?