2017年10月08日

労働環境

過労死ということが問題になっている。
特に若くて、人生の面白さがこれからという年代の方が亡くなることが残念でたまらない。

電通、そして今度はNHKで、過労死がニュースとなっている。
NHKの女性記者は、ピーク時残業時間が150時間にのぼったそうです。
そして、それだけ過酷な状況だったため、
ある日、突然の心不全で亡くなられた…。

この時間外労働150〜200時間。
これは働く基準から言えば、
とても過酷な労働時間です。
ですが、
私が彼女たちの年代だった20年以上前、
私も確実に月150時間以上働いていました。
新人から5年ぐらいは、とにかく寝る間もなくて、
会社で仮眠をとり、朝、一度帰って、着替えて、また
会社にいく。。という繰り返し。
美容院に一年以上行くことができず、
普段のショートヘアが完全にロングになり、
慣れない髪型に対応できず四苦八苦。
友達とも疎遠になり、孤独になり、
なんで仕事しているのか寂しくてたまらない時期も
たくさんありました。

でも、私は生きている。

どうして彼女たちは亡くならないといけなかったのでしょうか?
それがずっと、ずっと気になっていた。
そして、最近、自分を振り返り、もしかしたら、、と思うことがあります。

バブル期、、
仕事も遊ぶのもお金を使うことで新たなお金を生んでいたあの頃、
思い切り仕事をしまくった後、
その後、憂さ晴らしできる遊びの時間がわずかでも
あったと思う。
例え、遊べなくても、
タクシーで帰ることが許された。
つまり、仕事をした分、
体を労わる余裕がありました。
今とは、
圧倒的に「労働環境」が違いすぎていたんです。

何しろ、私は150時間だろうが、200時間だろうが、
仕事に取り組むことが嫌ではなかった。
やってもやってもやることがあり、
作っても作っても直して、直して行く作業はエネルギーを大量に使いました。
眠気やイライラもピークに達し、
先輩たちからは無理難題を言われて、悔しくて涙したことも数え切れないほどありました。

だけど、だけど。
面白かった。
全てが面白くてたまらないことに繋がっていた。

先日、ある勉強会で、「スマホに奪われたもの」について考えたことを思い出します。
スマホやインターネットのおかげで、どこでもどんな場所でも仕事ができるようになりました。
その分、オンとオフの使い方が千差万別になり、
境界線が見えるようで見えなくなっています。
仕事がどこまでもどこまでも
追いかけられる今の状態。

今の労働環境で、あの頃のように150時間を私は費やすことができるのかな?
どうやって妄想しても、
やはり相当にハードルが高い時間に思えてなりません。

仕事をする。仕事に取り組む。の中に、ワクワク感が見えづらい今。

淡々と黙々と仕事に取り組んでいく。
そこに遊び心を楽しむ余裕が、残念ながら、あまりみあたらない。

どんなにやる気のあることでも、
そこで一呼吸置くことができないのは
気持ちを苦しみに向かわせるだけになります。

こういう時代に、笑って過ごせる労働環境を作って行くためには
どうしたらいいんだろう?

労働時間の制限よりも、ワクワクが止まらない労働環境を
提案していかれたら。。と。ひたすら思うこの頃です。

夢半ばで、亡くなられた彼女たちの無念をそのままにしないで
もっと皆が楽しみながら取り組める労働環境を目指して動いていきたい。
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posted by 吉田紀子 at 01:08| Comment(0) | ニュース&記事より | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする