だってね、どう考えても自分は豚になる方で、
千尋のように娘が両親を助けてくれるような気がしないから。。
久しぶりのテレビ上映をみる気になったのは、
ロサンゼルス在住の友人の旦那さんに、
日本映画・アニメの中で何が好き?と聞いたら、
「千と千尋の神隠し」が好きだと言われたから。
過去に見た映画でも、こうやって観てみると
その時とは違うことが胸に響く。
あの巨大坊が怖くて怖くてたまらなかったのが、
今回は、彼を愛おしむ湯婆婆と共に愛着を感じる。
お金につられ、顔なしに食べられてしまう人々に
滑稽というよりなんとも厳しいメッセージを
宮崎監督から突きつけられた気になってしまう。
そうやって、2回以上観ると感じるところが増えていく。。
それは自分が老けたってことなのか、
感受性が豊かになったということなのか、
はたまた、以前のことをすっかり忘れただけなのか。。。
もう一つ、
強烈に飛び込んできたのは、主題歌「いつも何度でも」の歌詞。
<ゼロになる体>
作詞家の覚和歌子さんとは友人の音楽家を通じ、
交流のある方。
彼女の媚びない、ストレートな表現が大好きなのだが、
今回、初めて<ゼロになる体>がす〜っと私の胸に飛び込んできた。
ゼロになる体ってどういうことなんだろう。
その時、アニメの透明になる体とは違う、
自分だけのサラサラな体のイメージが広がっていった。
一つの言葉から広がるイメージが無限に広がっていく。
<ゼロになる体>に魅せられた瞬間だった。
イメージが広がる言葉ってすごい力があると思う。
すごいなあ、覚さん。
そんな言葉に出会えたことに感謝しつつ、
自分もそんな言葉が人に届く作品を作っていきたいと思った。
自分が伝えていく、作っていく作品の中に、
その本質が誰かの気持ちに触れることのできる作品。
まさに、今、「千と千尋の神隠し」は私にとって名作となった。