東日本大震災から6年が経ちました。
「忘れない」ことはもちろん、平常な日常を過ごせなくなった人を
寄り添いたいと常に思います。
私は<伝える人>として、書いたり、話したり、聞いたり、作ったりしています。
私の夫は最も身近な仕事仲間であり、信頼する映像作家の一人です。
彼は自分のできることをやるために、
福島に行き、取材し、映像として個人のチャンネルにアップしてきました。
それはとても個人的な活動の一環ですから、応援できることもあれば、
できないこともありました。
それでも、コツコツと知りたいことを形にしてきました。
本日、また一本、公開することになりました。
福島で有機農業を営んできたご夫妻。
震災と原発事故を経ても福島で農業を営み、作物を販売するご夫妻の
思いを声をまとめたものです。
2015年から取材してきたもの。
仕事などの関係でまとめることができなかったそうです。
私自身、今まで、福島の野菜を食べようと思ったことはありませんでした。
これを見たから、ぜひ、食べてくださいという気もありません。
ただ、こうやって生きている人たちがいることを
「伝えたい」という気持ちがあるだけです。
忘れてはいけないことを決して履き違えてはいけないんだと思うのです。
以前にも書きましたが、阪神・淡路大震災20年経ってもまだ、
自分の家は更地のままの人たちがいること。
故郷に住むことができない人たちはたくさんいるということ。
今日はやっぱり、あまり電気を使いたくない。。
そうはいっても、こうやって、映像の紹介しているんですが、、ね。
「忘れない」ことはもちろん、平常な日常を過ごせなくなった人を
寄り添いたいと常に思います。
私は<伝える人>として、書いたり、話したり、聞いたり、作ったりしています。
私の夫は最も身近な仕事仲間であり、信頼する映像作家の一人です。
彼は自分のできることをやるために、
福島に行き、取材し、映像として個人のチャンネルにアップしてきました。
それはとても個人的な活動の一環ですから、応援できることもあれば、
できないこともありました。
それでも、コツコツと知りたいことを形にしてきました。
本日、また一本、公開することになりました。
福島で有機農業を営んできたご夫妻。
震災と原発事故を経ても福島で農業を営み、作物を販売するご夫妻の
思いを声をまとめたものです。
2015年から取材してきたもの。
仕事などの関係でまとめることができなかったそうです。
私自身、今まで、福島の野菜を食べようと思ったことはありませんでした。
これを見たから、ぜひ、食べてくださいという気もありません。
ただ、こうやって生きている人たちがいることを
「伝えたい」という気持ちがあるだけです。
忘れてはいけないことを決して履き違えてはいけないんだと思うのです。
以前にも書きましたが、阪神・淡路大震災20年経ってもまだ、
自分の家は更地のままの人たちがいること。
故郷に住むことができない人たちはたくさんいるということ。
今日はやっぱり、あまり電気を使いたくない。。
そうはいっても、こうやって、映像の紹介しているんですが、、ね。
「」