退院後、初めての遠出は、
コミュニティカウンセラー協会の「見立てクラス」に参加しました。
この協会はいつもSNSの講座を一緒にやっている
霜丘麻依さんが副理事長をされているNPO団体で、
彼女からのリクエストに応えたものです。
ずいぶん前に約束していたし、気軽に参加できそうだったので、この日に合わせて体調を整え、
スタンバイしました。
私はこの「見立てクラス」でいわゆる<クライアント>さんとして自分の悩みを話す役。
自分の悩みをどう料理してもらえるのか、
まな板のコイのような感覚で、初めての体験にウキウキワクワクしました。
「見立てクラス」では、カウンセラーの資格を取得し、これからプロとして仕事をしていくための勉強をする方々が集まっており、リレー方式でどこが問題でどうしていったらいいのか、作戦を立てながら、
総勢7名のカウンセラーにあれこれ聞かれました。
カウンセラーさんと向き合い、自分の話をするというのはドラマなどで見たことはあっても経験はありません。
ま、病院のお医者さんと患者という立場と似た感じかな?とイメージしていきましたが、実際は違っていて、
私自身も全く知らない世界だったのでとにかく面白かったです。
私が困っていること、その根底に何があるのかを探って行く。。
私は自分の気持ちや状況を話して行くだけです。
その話を聞いて、カウンセラーのみなさんは私の言葉から連想できる心模様を
描いていき、問題点などを探っていきます。
何がそんなに楽しかったかというと。
いろんな発見があったってことなんです。
自分の気持ちを人に伝えていくとき、
心の中をどう表現していくと理解してもらえるのか、
普段、人に伝えるために選ぶ言葉と
同じようで、微妙に違う。
そこを理解してもらうための時間と空間が
やっぱり大事なんだなと思えたことも発見の一つ。
また、
自分の「言葉」は人と同じではないんだなというのも
また、発見。
作戦会議で外に出ているときに、
麻依ちゃんにも話しましたが、私は素直に自分の言葉で
自分の現状や気持ちを伝えているつもりでしたが、
人によってはどこが問題なのか、測りにくかったり、
どういう悩みなのかが、違う視点からの質問があったり、
自分がいかに伝わりにくい存在なのかも改めて実感したというか。。。
「ママは結局、自分のイメージでしかうちの話を聞いてない」
娘とバトルするたびに、最後に彼女が吐き捨てるこの言葉。
なんだか、ちょっとわかったような気がしました。
人が「聞いている」ことってどこをどう聞いてもらっているか、こういう立場になってみると
改めて自分の姿勢を顧みられて、伝えても、伝わっていないかもな、という
もどかしさも実感し、なぜかしっかりと娘に対して反省する自分がいました。
私の悩みについて、時間もだいぶんオーバーしたこともあり、
一つの結論が出るところまでは行きませんでした。
今後、どんな言葉が届くのを楽しみにしています。。
でもね、なぜか人に話しているうちに、自分の中では
答えが出てしまったんです。
相変わらず、悩みどころではあるんだけど、
何度か話をしているうちに、何が問題だったかをちょっとわかった気がして
なぜかスッキリしちゃいました。。
え?その悩みですが?
それは、、、掃除ができない。。ってこと。
私の中で、どんなアクセルが踏まれれば、掃除がすんなりできるのかなと
単純に思っていたのですが、思いがけず、みなさんが四苦八苦していた間に、
あ、そうか。私のきっかけはここなんだなってちょっとわかったんです。
とはいえ、それがちゃんと成果になるかどうかは、
私次第ではありますが。。。。
人に話すこと、人の話を聞くことってやはり大事だなと改めて感じたいい経験となりました。。
カウンセラーの皆さん、ありがとうございました。
カウンセラーの指導をする麻依ちゃん、貴重な経験をありがとうございました。
また、違う悩みを持ってクライアントやりたいなあ。。。